死んだ女の子

雨宮まみさんが死んだ。
死因についてどうこう言う気はない。そこを詰めても、喪失感が軽減されるわけではないから。
もちろん(というのも変な言い方だが)、僕は彼女とは面識はない。僕が勝手に彼女に影響を受け、僕の知る人と重ね合わせ、勝手すぎる感傷に浸っていただけである。
とはいえ、それほど著作を読んでいたわけでもない。はてなダイアリー『弟よ!』を斜め読みしていた僕は、出世作とも言える『女子をこじらせて』を発刊を知り、割と早い段階でそれを入手し、徹底的に打ちのめされ、ああ、この本がもう少しだけ早く世に出ていれば、あいつも死ななくてすんだのかもしれない、などと勝手すぎることを思っていた。
人は思うようにはならない。何しろ自分すら自分の思うようにはならないのだから。僕は、今考えると絶対に失ってはならない人間を失って、糸の切れた凧がその行く末を案じるくらいに迷走をしていた。そんなときに雨宮さんの本と出会った。
そうだ、どんなにみっともなくても生きていくしかないのだ。自分が愚かでも、どんなに他人に迷惑をかけても、死ぬ以外の選択肢を選んでいくしかないのだ、と思ってここまで生きてきた。罪も罰も、生きてきた先にある。それは、雨宮さんの著作や生き様から僕が学んだことだった。


過去は戻れないから過去なのだ。僕は彼女のいない今を生きるしかないのだ。


今回の事故(僕はそう思っている)を受けて、ちょっとだけ検索した。「いつか電池がきれるまで」ってのは有名なサイトらしい。上位に上がってきたそのサイトを読んで、ちょっとだけ僕は混乱した。あくまで個人的な事情だ。かのブログの文章は僕の胸を打った。それ以上に彼のブログ名が僕を揺らしたのは、あくまで僕の事情だ。


僕は生きていく。惨めだろうとみっともなかろうと。

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