自殺が是になる可能性

人は必ず死ぬわけで。

世界には、死んだ人とこれから死ぬ人しかいない。100年の永きにわたって命をつないできた人も、この先どこかで終わりを迎える。

殺人はなぜいけないのか、と問われることがある。少なくともまだ生きていたい人の命を奪うことは悪だと言われても仕方がないだろう。では生きていたくない人なら?例えば自分自身なら?

僕らは殺人の是非を問う前に、自殺の是非についてもう少し考えた方がいい。例えば、誰も知らないようなどこかの秘境で生まれ、先に家族をすべて失い、知り合いの一人もいないような人間がひっそりと命を絶つことを誰が責められるか。責める前に、その人間の存在を誰も知らないのだとしたら。

現代の日本に生きる僕らが、何らかの形で他者との交わりを廃し、ひっそりと命を絶つことは可能だろうか。出来たとして、その後亡骸を誰にも見つからずにやり過ごすことは出来るだろうか。それが出来たとき、誰にも気付かれずに死ねた僕は安らかに眠れるだろうか。

 

ま、死んでしまえばそんな事知る由もないのだが。